なんか「5月病」で力が出ないヨ。助けて食パンマーン。って感じです。
今日いちにちは「やる気なしモード」全開でしたよ。ふぅ。
とりあえず昨日のつづきでも。
子供つくり過ぎちゃった天皇が「人員削減」のために、
その何人かを皇族から追い出して臣下の身分にしてしまう。
こうして誕生したのが「源氏」です。
皇族には姓がありません。
ですから、天皇から「源」という姓をもらった時点で、
その人は「皇族」ではなくなったワケです。
「平氏」の場合も基本的には同じ。
ただ「源氏」姓というのは天皇の「子供」に与えられたので、(清和源氏をのぞく)
彼らは一応「準皇族」的なポジションを得ていました。
それに対して「平氏」姓は、天皇の孫かそれ以降の代の者たちに与えられてます。
つまり彼らはもとから天皇との血縁関係が薄い人たち。とうぜん高いポストも貰えません。
「なんかよくわからない皇族が増えちゃったから、まとめてリストラだーっ」
そんなワケで、「平氏」というのは「源氏」よりも格が劣る。とされているのです。
一応、平氏には桓武平氏・仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏の
「4平氏」があるみたいなんですが、
「桓武平氏」以外はソッコーで没落してしまったのでしょう。ほとんど名前を聞きません。
桓武天皇の「ひ孫」のなかの一人に「高望王」(タカモチオウ)って人がいました。
彼も「皇室リストラ」をくらって「平高望」にされてしまいます。
平高望は「このまま京都にいても仕方ない」ってコトで関東へと下向し、そのまま土着。
その子孫たちが武士化して「武家平氏」が誕生する流れになります。
こうして関東は「平氏」たちによって独占されるのですが、
関東に土着した「武家平氏」たちが素直に大人しくしているハズなどなく、
内ゲバ起こして暴れまわった挙句、朝廷に対して2回ほど大きな反乱をおこしています。
1回目は「平将門の乱」
これは「平貞盛」が鎮圧。この手柄をキッカケに貞盛は中央デビューを果たします。
彼が「平清盛」に繋がる伊勢平氏の「ご先祖サマ」です。
2回目は「平忠常の乱」
こっちはいまいちマイナーですが、反乱の規模は「将門の乱」の10倍。
これは京都(中央)より派遣された「武家源氏」源頼信によって鎮圧されます。
関東平氏たちは源頼信に降伏。で、この頼信が人間的に出来た人だったらしく、
関東平氏は「源氏」に忠誠を誓うようになり、関東は「源氏」のモノとなっていきます。
こうしてもともとは「中央の源氏・関東の平氏」だったのが逆転して、
「中央の平氏・関東の源氏」になったのでした。