「日本は6カ国協議に参加する資格はない。身分不相応だ」
なんかまた北朝鮮が吼え始めました。
よしよし。日本がかけた経済制裁はちゃんと効いてるようですな。解かりやすい国です。
それにしても小学生並みの挑発。「お前のカアちゃん、でーべそ~」
この程度ではこちらとしても挑発に乗れません。
どうせならもっと「品良く」挑発してもらいたいものです。
「三方ヶ原の戦い」で信玄によって徹底的にボコられ、
ウンコもらして泣きながら浜松城へ逃げ帰った家康。
その直後の1573年元旦。
浜松城で震えていた家康のもとに、信玄からの手紙が届けられます。
まつかれて たけたぐひなき あしたかな (松枯れて 竹類なき 朝かな)
松というのは「松平」の松。家康のコトです。
竹は「武田」を指しているのでしょう。
「松平(徳川)は滅亡して、武田が栄える。めでたい1年になりそうですね」
と、家康を露骨に挑発してきたのでした。(単に「からかっただけ」という気も)
これを読んだ家康は一気に不機嫌になります。
でもまあこのときの家康は、武田軍に城を包囲されている身。
現状はこの手紙のとおりなので文句も言えません。
家康はムスッとしたまま、お得意の「爪噛み」を始めます。
元旦なのに、なんか暗い雰囲気に包まれる浜松城内。
と、そこへある家臣が進み出ます。
「ちょっとその手紙を見せて下さい」
相変わらずムスッとしている家康から手紙を受け取った家臣は
「なるほど・・・。では、信玄どのにお返事をさしあげましょう」
と言って筆を取り出すと、さららと筆を走らせます。
まつかれで たけだくびなき あしたかな (松枯れで 武田首なき 朝かな)
筆を走らせたといっても、濁点を2ヶ所つけただけ。
「松平(徳川)は滅びずに、武田の首がなくなる。めでたい1年になりそうですね」
これには家康も思わず ( ̄ー ̄)ニヤーリ
最悪だった家康の機嫌は、たちまち良くなったのでした。
これは江戸時代の「要篋辨志」という本に載っている逸話らしいです。
こういうトンチの効いた話は面白いですね。
ま。この年を境にして、「武田」は衰退して「徳川」が隆盛していくので、
家康が出した「お返事」通りになったわけです。
同じ挑発するにしても、こう「美しく」してもらいたいものですよね。