ぐるっと甲府駅の北側へ車を走らせると、
一本の直進道がまっすぐ北の方向に走っています。
その道をずんどこ進んでいくと、
突き当たりにあるのが「武田神社」。
ここが武田家三代(信虎・信玄・勝頼)の本拠地。
「躑躅ヶ崎館」です。
以前より観光地として賑わっている武田神社ですが、
今年の大河は「風林火山」というコトもあり、今年は特に多くの観光客が訪れているようです。
いいですなぁ~。ボロ儲けですね。(ちがう)
「躑躅ヶ崎館」は甲斐統一を完成させた信虎が、本拠を石和から移したのが最初。
ここは普通の平地にある居館なので、敵に攻められたら一発でしょう。
そのために「躑躅ヶ崎館」の後方、約2km にある「要害山」に城が構築され、
緊急時には「要害山城」で戦うコトになっていました。
駿河から福島正成(テリー伊藤)が率いる今川軍が侵攻してきたときは、
緒戦で信虎は敗北したためにパニックに陥り、夫人を「要害山城」へ避難させています。
ちなみにこの退避中に信玄が生まれたそうです。
勝頼が「長篠の戦い」で大敗すると、武田家は衰退。
「躑躅ヶ崎館」や「要害山城」では抗戦不可能だ。と考えた勝頼は、
本拠を韮崎の「新府城」へ移転させようとしますが、家臣たちは大反対。
「えー。やだよー。今までどおりココに居ようよ~」
これを聞いた勝頼は「移転反対派」への見せしめのため、
躑躅ヶ崎館を徹底的に破壊してしまいました。
うーん。仕方ないとはいえ「痛恨の極み」ですね。
武田神社の入口付近にある石碑。
よく判らないとおもいますけど、(写真のせい)
「武田氏館跡」と書かれてあります。→
こういう石碑が何気にスキ。
一応、神社ですから神社の写真を。
かなり早朝に行ったので、まだ人はいませんでした。
敷地内には「宝物館」もありました。
早朝すぎて開館していませんでしたけど。(泣)
歩き回ってみると、意外と当時の遺構が残ってます。
これは判りにくいと思いますが、当時の「空堀」の跡。
他にも石垣跡なんかもあります。
やー。ただの観光地だと思ってナメてはいけません。
● 歴史的萌え度 A
何と言っても戦国の申し子「武田家」の本拠地。
今川を滅ぼした憎っくき信玄とはいえ、ココで萌えなければウソでしょう。
● 攻略難易 E
単なる平地ですから全く疲れません。
ただし気をつけないと、遺構は見逃してしまうかも・・・。
● 遺構残存 C
人々で賑わう観光地ですが、一歩奥に入ればマニアの領域。
意外と城の遺構が残されています。