昨日は仕事で大井川へ行ってきました。
大井川といえば 「駿河」 と 「遠江」 の境界線。
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川
江戸幕府は西国大名が謀反を起こした時の 「防衛ライン」 とするため、
軍事的要害としてワザと橋を架けなかった・・・・。
と、言われています。
たしかに江戸時代の初期においてはこういう理由もあったでしょうけど、
やがて幕府が安定期に入って天下太平な世になり、
西国の謀反なんてありえない状況になれば、やっぱり橋を架けた方が何かと便利。
インフラ整備のためにも幕府は大井川に橋を架けても問題なかったハズです。
現在の大井川に 「蓬莱橋」 という橋が架かってます。
これが作られたのは1879年(明治14年)。
もちろん木造で、全長は897.4m。
ギネスブックにも登録されている世界最長の木造橋です。
大井川は一年間における水量の変化が激しい川。さらに川底は柔らかい砂層。
そんな場所に世界一長い橋を架けなければなりません。
そもそも当時の技術でそれが可能だったか?
・・・・っていう問題があります。
でも日本人の架橋技術は昔からスゴいので、
技術面だけの問題ならばクリアしたかもしれません。
やっぱり一番大きな問題は 「利権」 でしょう。
大井川には 「橋」 も 「渡し船」 もありません。
大井川を渡るには川会所で 「川札」 という切符を買いまして、
これを 「川越人足」 に手渡し、彼らの肩や連台に乗って川を渡ります。
川札はランクによっても料金が違うし、
さらに大井川の水量によって毎朝料金が変わります。
そしてこれらの料金は 「川会所」 が決めてました。
「川会所」 は幕府公認の組織。
人々はどうしても川を渡らなければならないので 「川札」 を買います。
さらに参勤交代の大名行列となると、渡河のために莫大な金が使われます。
こうして川会所は巨大な利権組織となったのでした。
大井川が増水すれば 「川越人足」 はクローズになります。
川越人足が出なければ、人々は付近の宿場で待機せねばならず、
こうなると宿場はお客様で賑わって大儲け。
この大井川のクローズを決めるのも川会所。
「もうちょっとクローズを延長して下さいよ・・・・」
とか言って、近くの宿場の旦那たちが川会所へ 「饅頭」 を送ったコトも考えられ、
まさに川会所はウハウハだったでしょう。
もちろん幕府はこういう所に 「事業仕分け」 のメスなんて入れません。
「景気を活性化させるためだよー」
とか言って放任してました。
たしかにこの言い分にも納得できます。
この制度を廃止してしまったら確実に景気は冷え込みますから。
ま。政官業の癒着も当然あったでしょうけど。