つい最近まで暑くて扇風機を出していたのに、もう寒くてコタツの準備ですよ。
これだけ気温差が激しい時期には風邪をひかないように注意ですねー。
1944年7月にサイパンが陥落して、いよいよ10月からフィリピンでの決戦がスタート。
それに伴って国民の士気高揚のために軍歌が作られるコトとなり、
軍からの依頼を受けた読売新聞が西條八十と古関裕而の黄金コンビに歌の作成を依頼。
こうして作られたのが 「比島決戦の歌」。 →
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♪ いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ逆落とし~
このフレーズは今でもけっこう有名。
wikiによれば、軍がニミッツとマッカーサーの名前を歌詞に入れるよう要請したものの、
西条がそれを断ると、陸軍報道部の中佐がその場でこのフレーズを代筆。
こうしてこの歌が出来たらしいです。
もちろん当時は連日ラジオで放送されてたみたい。
しかし1945年8月に日本は敗北。
8月30日にマッカーサーが厚木に降り立ち、9月2日に降伏文書に調印。
ここからマッカーサーを総司令官とする占領時代が始まります。
このとき多くの日本人がマッカーサーに手紙を出してまして、
これらの手紙について書かれた本が 「拝啓 マッカーサー様」。
前からちょろっと読みたかったので、ダラダラと読んでました。

占領時代に日本人がマッカーサーやGHQに送った手紙は推定50万通。
ま。当時の人口は8000万なので、割合にすれば1%にも満たないのですが、
それでも数にすれば膨大な量。
この本の作者ももちろん全ての手紙について検証できたワケじゃありません。
それに手紙の内容としては好意的なモノが圧倒的に多かったようで、
占領軍を批判するのは、数の上ではかなり少数派だったみたい。
ただし批判的な人の多くは、そもそも手紙なんて書かなかったとも思われるので、
この手紙だけで、当時の日本のムードを断定するのは間違ってます。
これに関しては本の作者も指摘してます。
それでも雰囲気を知るためにはかなり重要な史料であるコトには変わりありません。
特に面白かったのは、この本の最初の方で紹介されてる手紙。
時期にすると占領直後ぐらいの頃のヤツ。
この頃が最も多くの手紙が送られていたようで、
つい最近まで 「いざ来いニミッツ、マッカーサー」 って歌ってた人たちが
「マッカーサー様万歳!」 と祝福を送る姿に関しては、やっぱり興味深いモノがありますね。
そこでまあ。その辺の手紙についてちょろっと簡単に。